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摩耶ケーブル利用者数における観艦式と阪神大水害の影響

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(神戸市史 第三集・産業経済編 の数値をグラフ化 P.828、S42.3.30)

 摩耶ケーブルの開業は、日本人の「敬神崇祖」と「景観名勝探訪」の念による旅の風習を摩耶山観光事業に発展させたと言われる。開業から大戦終局まで約20年の利用者数の推移を上記統計資料から図式化した。

 1930年の突出は神戸沖で行われた海軍の国を挙げた観艦式を山上から観賞するとのキャンペーンと、同時並行で行われた9月下旬から10月末までの「開港博覧会」が功を奏したと思われる。その他の期間でも、一日平均1000人の集客が、開戦の1941年末までの10数年間続いたことになる。

その中で、1938年の利用者数の極端な減少は、同7月初めの阪神大水害によるインフラの被害と、観光どころでは無い地域経済の落ち込みと風潮の影響と考えられるが、翌年にはV字回復が見られる。

昭和13年 再度山から布引ダム方面を望む山肌の崩落 (神戸災害資料館から


昭和13年 神戸市東灘区、阪急・住吉川付近の被害状況 (毎日新聞社資料から)


昭和13年 阪神大水害の主な被災区域 (国土交通省・六甲砂防事務所資料から)

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